「自分事と世界事」

堺泰樹(学生)

堺泰樹

 僕が世界の出来事に関心をもつようになったのは、世界で起きている出来事が、単なる他人の出来事ではなくて、自分の身に起きていることと同じようなものだと感じられるようになったからである。または、他人の問題だと思っていたことがもしかしたら自分の問題であったと感じるようになったことである。
 例えば貧困問題。グローバルな視点で見た場合アフリカ諸国や東南アジア諸国南アメリカ諸国が主な貧困国で欧米諸国や日本、オーストラリアなどは豊かな国というのがステレオタイプである。グローバル企業が闊歩し海外製品無しの生活はもはや考えられなくなっている。今僕が来ている服は某ファストファッションメーカーが作った中国製である。今この文章を書いているコンピューターの部品もほとんどが日本国外で作られている。食べ物もそうである。日本の食料自給率は約40%でその他は輸入に頼っている。そして海外の視点から見てみると外国相手に商売しなければ経済が良くなっていかない生活が成り立たないといった問題が発生している。このシステムを作り出し、支えているのは一体誰なのか。それは紛れも無く僕達なのである。金儲けのためのシステムに自分たちの生活を組み込むことで社会に適応している。しかしそれは世界の破滅の手助けをしていることと同義なのである。だからといってファストファッション以外の洋服や地産地消の食べ物、純日本製の電気製品だけを求めて生活したり、自分自身が自給自足の生活をするのかと言われるとそれはおいそれとはできない。それが出来ることならやりたいと思っているし、世界中の人達が生活に必要なものを自前でまかなうか、隣町や隣国でまかなうことが出来るなら、そのほうが豊かでより人間的な生活ができるのではないだろうか。
 日本に目を向けてみよう。先ほど見てきた構造と同じ構造が国内には存在している。一部の力を持った大企業が力のない労働者たちを搾取している。アルバイトや非正規雇用が異常な労働を安い賃金で強いられている。そして慣習上、そのエリアに入ってしまった人はもうその階層から抜け出せないことになっている。自給自足の生活のノウハウや労働者の権利などの知識を持っていないし持っていても企業側がそれを保証してくれない事態は往々にして起こっている。先進国ではこのような国内レベルでの貧困問題は多発している。そして今僕たちはその搾取されて出てきたものの上で生活をしているのであるし、いつ何時その階層になり貧困に苦しむかわからない。このように考えてみると、単純に世界で起こっている現象は決して自分とは関係ないことではないのである。他にも紛争やテロの原因はグローバル資本主義経済であったりするし、差別問題は国内でも存在しているたりするし何万回「差別はダメ」といってなくなるものでもない。この世界で起きている現象で自分に全く関係ないことなどはありえないのである。社会の同じ構造に自分が乗っかっている限りそれは避けられないことなのである。
そうすると、日頃からの意識が変わってくる。単純に日本の問題ばかり見ていては思考停止してしまう。世界のことばかり見ていても思考停止してしまう。その塩梅が大切なのである。世界の問題に関してどれだけ積極的になったところで、自分の住んでいる場所は自分のいる場所だしそこから瞬間移動することなんてできない。その場で仕事もしなければならないし、天気によっては買い物に行くのも億劫になったりする。僕たちは僕達のいるところでしか生きていけないのである。世界を目指すことは必ずしも世界を飛び回ってキャリアを積んでかっこ良く活躍することにはつながらなければ、夢のようなものを掲げて外国の地に降り立つことにつながるわけでもない。もっと泥臭くてもよくて生活感があってもいい。実際に起こっている世界事の現象を真摯に受け止め、今ここでできることを自分の生活のなかで行うことができるようになること、それが世界を目指すことといえるのではないかと思う。
その上で英語の習得が必要になる。言語は第一にコミュニケーションのツールであるとともに文字や音声としてのメディアとしての役割がある。ニュースを見たり論文を読んだりするために、できるだけ多くの情報を集めるために英語という世界言語を用いることが時として意味を持っているのである。僕たちは中学校に入ると英語を義務で学ばされる。そこでは英語を学ぶ意味は積極的に教えられることはなく消化試合としてみなされることが多い。あったとしてもコミュニケーションツール、友達作りのツールとしての英語である。それが悪いわけではない。英語を初めとして外国語を学ぶ意義を自分なりに見つけ出すことがまず自分事を世界事として捉える第一歩なのではないかと僕は考える。

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