「留学の本当の価値」

さとK(大学生)

さとK

 「ぜったい英語の先生になる」  高校1年生のころに受けた予備校の授業に感動し、そう決意しました。中学のころまでは勉強なんて大嫌いで、特に英語は大の苦手でした。しかし、その予備校の先生の授業を何度か受けていたら、いつの間にか英語が得意に、そして好きになったのです。「将来は自分もこんな先生になって英語の楽しさを伝えたい」と思いました。高校3年間、必死に英語を勉強し、大学受験でも大きな武器になりました。

   しかし、私には大きな壁がありました。貧乏だったのです・・・・・・。幼いころから母子家庭で育ち、一時期はガスや電気が止まることもあり、家がない、いわゆるネットカフェ難民を家族ぐるみで経験したこともあります。生活保護を申請するも、役所からはとても嫌な顔をされ、結局受給できずにいました。
惨めでした。こんな状態だったため、せっかく合格した大学に入学することができず、高校卒業後はフリーターのような生活をし、心身ともにぼろぼろになりながらも、心のどこかに「やっぱり英語の先生になりたい」という思いがありました。

 まずは大学に合格しなければと、どん底の状態から這い上がり、今年の4月晴れて大学生になることができました。現在25歳。かなり遠回りな人生を歩んできました。大学に入学して、私は留学経験のある学生の多さに圧倒され、急に不安になりました。
「将来はこんなに英語が堪能な人たちと勝負するのか」と怖気づいてしまったのです。彼らは、英語力だけでなく、考え方や価値観も多様でした。一方で、帰国子女ということで、自惚れている学生もいました。そのときに「留学が全てではない」と自分に言い聞かせ、今までどおり、自学自習でも英語の先生にはなれると自らを鼓舞してきました。

 しかし改めて私は留学の意義を考えました。英語力の向上という視点だけでなく、ほかにどんな力が身につくのか必死に考えました。そして答えを見つけたのです。それは、「違いを受け入れる」という姿勢です。異国の地では、自国では当たり前のことが非常識や失礼につながることもあります。そしてなにより、人々の考え方がまるで違います。これは異文化に接することで初めて気がつく価値観なのではないでしょうか。一例を挙げると、日本では他者と協調することが美徳とされる中、多くの国では、いかに出る杭になるかに意識を向けます。どちらがいい、悪いではなく、明らかに考え方が違うのです。

   国際社会と呼ばれる現代において、確かに英語力も大切ですが、もっとも大切なのは、「違いを受け入れる」ことだと考えます。英語そのもの勉強ならば、日本だけでも事足ります。しかし、「違いを受け入れる」体験は、実際に異文化に接してみないとわからないことです。
教育という分野に関わる以上、多くの価値観にふれる必要があります。そのひとつの手段として、英語力の向上だけでなく、より器の大きい人間になるために、留学を強く希望します。

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