「私が世界を目指すわけ」

マロちゃんのママ(ピアノ声楽講師、塾講師)

マロちゃんのママ

現在50代の自分が小学生だった頃外国は遠い憧れの地であった。大阪万博に家族で訪れた際、美しい白髪のアメリカ人らしき人と写真を撮らせてもらった後、しきりに彼女が英語で語りかけてきた。私は勿論両親も理解できぬままその場を去るしかなかったもどかしさ。写真に収まるとき彼女が、小さかった私をしっかりと抱きしめてくれたことを覚えている。小6の時初めて近くにできた英語教室に通ってはみたものの当時の英語の先生のレベルはけっして十分とはいえなかった時代、大人になったら英語が話せるようになりたいと心の中で願っていた。がそんな自分はどこかに忘れ去られ、いつしか「英語ねえ。話せたらいいけど。」の大人になっていた。家でピアノと声楽を教えながら子育てをする日常。声楽のレッスンにたまに通いながらも自分の音楽家としての将来に何も期待することもできず、自分の音楽性を磨くということに向上心の行き場を求めていた。自分自身を保つために。私は何も進歩していないかも知れない。子育てをして子供が成長した後自分の中に一体何が残るのだろう。不安に似た焦りを感じたとき、ふと子供の頃描いていた自分の将来像を思い出した。本屋さんで準2級の問題集を買ってきて勉強し始めてみると、音楽の勉強とはまた別の新鮮な感覚、学生時代以来しばらく味わうことのなかった喜びを感じた。学んだ分がしっかり自分のものになってくる。すればした分、前に進む。他人の評価にゆだねざるをえない音楽表現と違い、テストを受ければ明らかな点数で自分の努力の量をはかることができる。準2級の次は2級。が、準1級ともなると簡単ではなく合格までに3,4年かかった。ただその間の英語の勉強を通して自分の視野がグローバル化されていくのがわかった。世界は以前よりずっと身近になり多くの見方、考え方、宗教観などを知ることが自分を豊かにし自分自身を確かなものにする。他への理解がつまりは自分を知ることにつながる。準一級に合格してみると主婦にも多くの活動の場が開かれていることに気付いた。とりあえず英語の一定レベルを保証してくれる箔が付くわけで、現在週2回塾で英語を教えている。多くの学生アルバイト講師に混ざって私の年齢だから教えられる英語の楽しさ、勉強することの喜びを伝えているつもり。教えることイコール学ぶこと。わずかではあるが収入を得ながら勉強させてもらっているようなもの。地域の国際交流事業では、アメリカにある姉妹都市からの来客の際にボランティア通訳者としての活動をしている。数年前に出会った医療通訳ボランティアの仕事。日本に住む外国人がクリニックや病院で受診する際の医療従事者(医者、看護師、薬剤師、受付)と患者との間の通訳業務、に魅力を感じた。目的のはっきり定まらないまま続けてきた英語の勉強のゴールを見つけたように思えた。自分の英語で人を助けることができたらすばらしいことだと。善意で医療通訳者としての英語を教えてくださる方と巡り会うことができ、定期的にその方から指導を受けている。日本人のご主人を持つオーストラリア出身の先生でその方の日本の生活におけるコミュニケーション能力の高さはすばらしく、内向きになりがちが自分にとって大きな刺激でもある。 甲斐あってつい数ヶ月前、やっと某市での登録が得られ医療通訳ボランティアとして活動を開始することができた。自分の英語はまだまだとても未熟で勉強することは山積している。が、ひとつひとつ自分の中に取り込んでいく作業は大変さよりももっと多くの喜びに満ちているから、これからも続けていける。医療通訳者として登録されたことは私にとってゴールではなくスタートである。海外で仕事の機会もなければ、主人の仕事についていって海外生活を送るチャンスもない。英語の勉強をしなくても困らずに残りの人生を送ることができたはずの主婦。でも、たった一度しかない人生を充実したものに変えることができるのは自分自身でしかないから、自分が生きたいように生きたいから、これからも勉強していくつもり。結果として自分は世界を目指してきたし、今も世界を目指していると言いたい。

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