「関わりを求めて」

江川恵(学生)

江川恵

 人から与えられたものを次は自分が与える。人と人とは関わり合い、影響を受け合いながら生きているのだろう。私は人と関わることに魅力を感じる。人と関わりたい、繋がっていたいと思うことに理由などない。この欲求は人間誰しもが持っているものだろう。
 様々な人との関わりを求めて私は世界に目を向ける。きっかけは一枚の写真だ。幼い頃にテレビで見た、すっかりおばあちゃんになったオードリー・ヘップバーンの笑顔の写真。彼女は後半生のほとんどをユニセフでの仕事に捧げている。私が見た写真はその時のもので、子供たちに囲まれて、笑顔の彼女が写っていた。私はその写真に魅せられた。この笑顔を私は知らない。この笑顔はどこから来るものなのか。私も同じ所に行ったならわかるのだろうか。私もそこに行きたい。幼い頃、強く願ったその思いは、今もまだ私の胸を締め付ける。
 遠い国の人をもっと身近な人として感じたい。オードリー・ヘップバーンのあの写真から、私はそう願うようになった。世界は広い。しかし世界は、ある意味で狭くなった。私たちは自分の部屋の中だけで各国の文化、自然環境、状勢、様々なものを情報として入手することが出来る。しかし部屋の中で得た情報だけで、その国を知ったことになるだろうか。私はそうは思わない。少なくとも私はそれでは満足できない。パソコンを見つめて得られる情報だけでなく、私はその場所に行って、その場所の空気を、五感全部で認識したい。もっともっと広い世界を感じたい。そして出来ることならそこに住む人と関わりたい。
 関わるために、私にはなにが出来るのだろう。私が出来ることは「描くこと」だ。私の専門分野は芸術だ。幼い頃から絵を描くのが好きだった私は、そのまま芸術大学にまで来てしまった。私にとって「絵画」とは「言葉」に等しい。
 言語とは、共通の言葉を持つ人々を繋ぐための道具だと言えないだろうか。様々な情報や思いを細かに共有することの出来る道具。それならば芸術は、国も言葉も、価値観も違う人々と感動を共有するための道具といえる。細かな情報を共有することは出来ないが、人の持つ喜びや悲しみ、様々な感情や感動を共感することの出来る道具。
 この二つの道具があれば、どこにでも行けるし、誰とでも関われる。と、楽観的な私は思う。それならば私は色々な国に行って、様々な人と関わりたいと思う。芸術を通じて、人と解り合いたいと思う。一人一人と繋がりたいと思う。そうすることに意味があるかはわからないが、一枚の写真が私を突き動かすように、私の存在が、なにか小さな布石になれば良いと思う。
 私にとって「絵画」とは「言葉」で、「人との関わり」とは「描く」ことだ。文化圏の違う人と関わることは、私の中の常識を揺さぶり、破壊し、そしてまた新たな私を構築する。人から与えられた刺激を、言葉にならない感動を、描くことで表現する。微力ではあるが、それはまた他者へと還ってゆく。私はそうして生きてきたし、これからもこうして生きていきたいと思う。

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