「世界で生きる魅力」

伊藤 諒人(高校生)

伊藤 諒人

僕はもともと「洋楽」「洋食」などの異国の文化が好きなだけの理由で、将来は外国に住みたい、という単純な未来像を描く中学生であった。しかし、中学二年の頃、フィールドワークでJICA-国際協力機構を訪れたとき、国際協力、国際関係について興味を持つようになり、「自分もこのように国と国との間に立って活躍したい」という夢を抱き始めた。これが僕の憧れが実現すべき夢となり始めた時であった。そして、高校に入ってスティーブ・ジョブスの演説に影響を受け「世界中の人から必要とされるような、グローバル企業を設立する」という目標が新たに僕の中で芽生えた。では、どのようにすればそのような企業を設立できるような人間に一歩でも近付けるだろうか。その答えは“世界”にあった。
 僕は去年の冬、いよいよ志望大学を絞っていくという時期にこの疑問に加えて、国内の国際経済学部や経営学部に進学しても、卒業したときに、果たして自分には何が備わっているだろうか、国際社会で生き抜くためのスキルが備わっているのだろうか、と自分自身に問いかけた。そうした結果、国内に留まる、というごく普通の高校生の進路は視界から消えていった。そして現在はアメリカの大学進学を目指している。
 留学というと英語を習得するため、と考える人も多いと思う。英語は世界へ出向こうとしている人はもちろん、現在のグローバル化する社会では日本国内でも必要条件になりつつある。そして、英語は国際社会で生きるためのツールとして最も大切な核となる部分だ。だが、留学することの醍醐味は人間としての総合力を磨くことにもあると思う。
 例えば、アメリカの大学は日本とは大幅に違う教育システムを取り入れている。専攻科目変更や編入制度、Office Hoursなどの制度の柔軟性。学生主体の能動的な授業や、膨大な量の自主的な課題によって「自ら学びを大成」していかなければならないという学習形態である。このような場に身を置けば強い責任感、自発性、コミュニケーション力、精神力という国際人としてのスキルは確実に身に付くであろう。そして僕はこれらに加えて何よりも日本人には乏しく外国人には旺盛と言われる「起業家精神」の獲得を目指したい。日本にいてはこれを獲得するのは、難しいと思う。というのも、そもそも国民性の違いによるのだ。日本でどんなに自分がこの精神を体得しているように思えてもそれは集団協力性が強く、惻隠の心の備わる国民性であるが故、表面的なものであるかもしれないのだ。だから、個人の行動選択に厳しい責任が伴う世界の場で真の「起業家精神」を体得したい。そのために大学在学中に事業を立ち上げ一度“失敗”を経験したい。その失敗から国際社会の厳しさ、刺激を受けたい。スタンフォード大では授業の一貫で事業設立をするらしい。このようなことも起業がしやすい海外ならではのことである。
そして何より異文化の環境に飛び込み、自国との違いを大いに感じ、それ自体を楽しみたい。このことは多分、自らを含めた海外に出向こうとする人の意思の根底にあるだろう。国際交流も初めは互いに知り得ないものへの興味から始まったのである。国内にいては決して知り得ないものを知ることで国際的な感性を身につけ、自分の視野を広げたい。
世界に出向くことによって得た経験やスキルにより「個」としての総合力を磨きあげた上で、いよいよ起業という試練が待ち受ける。その時になるまで具体的にどんな企業を設立するのかはわからないし、そのアイディアも時を経て絶えず変動するだろう。しかし、初めに抱いた「世界中の人から必要とされるような企業」という目標と、その根底にある理念は変わらないだろう。その理念とは、更なるグローバル化の手助けをすることである。現在グローバル化されているのは単に世界に流通している商品や企業だけで、世界全体の“認識のグローバル化“はなされていない。まだまだ全体でみれば世界中で誤解しあっているところがある。実際に僕はアメリカ人やフィリピン人とよく話す機会があってこのことを身をもって体験してきた。このことが解消されていけば、自然と多方面でのグローバル化が達成され、世界中の人が共生できる。そして、これはこの先、地球規模の問題を抱えるであろう人類にとって重要なことだ。僕はこのために世界中の人々が異文化を間近で感じられるような機会を与える企業を設立したい。そして、より多くの国籍の人を雇いたい。より多くの文化が接触する中で高められ、それが共有されるとき、素晴らしいものが生まれると思う。ちなみに、現在では多言語を有する語学学校を設立したいと思っている。
 新たな刺激から得られる沢山の糧を求め、壮大な夢を実現するのに、国内という殻に閉じこもってはいられないのだ。

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