「存在意義を求めて」

BAN(広告代理店、イベント業 代表取締役 )

BAN

誰しもが一度は思った事があると思う。
自分は何故生まれてきたのか。正直この答えは人それぞれだろう。
そしてその答えを得るタイミングも人それぞれだと思う。
しかし私はまだその答えを得られていない。

ここで少し私の話をさせて頂きたい。
今年33歳になり、世間一般では『おじさん』と呼ばれる年齢になった。
そんなおじさんの昔話だ。

高校を卒業して地元(静岡)の中小企業に入った。
そんな私に転機が訪れたのは、社会人2年目20歳の時だ。

友人数名と遠出をした帰り道、地元に帰る道のりを競争しようと、誰かが言い出した。私はそれに同意した。

車が3台、バイクが1台。そのバイクが私だ。

アメリカンバイクだったが、帰りの東名高速道路は車の通りも多く、バイクが負ける要素はない。圧勝だろうと心の中で思い競争はスタートした。

出だしは好調だった、スタートから5分もしないうちに友人達の車は見えなくなり、私の独走状態だった。

そこで調子に乗って更に速度を上げた。それが間違いだった。

急にハンドルがブレはじめた。 どんなに力で押さえ込んでも左右にブレる。そのブレも段々と大きくなる。
ついには蛇行状態になり、コントロールが出来なくなった。

このバイクは友人から譲ってもらい、
受け渡しの時に「ハンドルは正規品じゃない物を無理矢理はめ込んでいるから、あまりスピード出しすぎるなよ」と注意を受けたのだ。

その時の速度は東名高速道路の法定速度内だったので、自分では出しすぎている気はしなかったが、そのバイクの限界速度を超えていたのだ。

そしてコントロール出来なくなったバイクの上で私は、色々な事を考えていた。
これまでの人生、これからしたい事、自分の人生の満足度。
しかし二十歳の若造が行ってきた事なんて自己中心的な日々を送っているだけで、誰の役にも、何の役にも立っていないと痛感した。

「悔しい」「情けない」ではなく「そうか」という思いだけだ。
そしてバイクは転倒した。

蛇行を繰り返していたバイクは偶然にも右側に倒れた。
バイクの重量は役500キロだ。バイクと道路にプレスされて死ぬだろうと思った。

しかし、死ななかった。
バイクを譲ってくれた友人はハンドル以外も改造しており、
相当太いマフラーにしていたので、そこが支点となりバイクと道路の間に空間が出来たのだ。私の体はその空間に収まり数メートル引きずられた助かった。

倒れる瞬間にドーパミンが出たせいか、引きずられる感覚は数分にも感じた。その間はハンドルが地面に擦れるのを見て、火花奇麗だなぁと完璧他人事の様に思っていた。

結果、東名高速道路にて時速数十キロのバイクで転倒したのにも関わらず擦過傷(擦り傷)のみで済んだ。
擦過傷のみと言っても、衣服は破れ右半身コンクリートで擦っていたので血だらけの、治療後は包帯まみれだ。

昔話が長くなってしまったが、結局その事故によって命も身体も奪われず、こうして元気に生きている。
ただ心の靄は現在も晴れていない。

誰の役にも、何に役にも立っていないからだ。

一度拾った命ならばと色々な事に挑戦した。

事故の後、趣味でやっていた役者の道に進むため仕事を辞め上京した。
数年頑張ってみたものの、たいした成果もあげられず挫折。
ベンチャー企業に就職。その後そのベンチャー企業を辞め、数人の仲間と会社を立ち上げた。
そして現在、小さな会社だが代表取締を勤めている。

しかし社長になっても私は満足していない。
なぜなら私の理想の姿は偉い人ではなく、優しい人だからだ。
その優しい人になる為に来年私は世界一周をする。

旅行ではなく数年かけて色々な国を見て回るつもりだ。
現在の会社も部下に譲る。
全く未経験の世界だが、バックパックを背負って世界一周に出かける。
最低3年以上100カ国以上は見て回ろうと思う。

しかし私は現在英語を一切喋れない、喋れないどころか、be動詞すら最近学んだ。
だがどうしても英語を身につけてから世界一周に行きたいと思っている。

なぜなら、他国の人の実情を知りたいからだ。
その為には言語を理解する必要がある。

英語が出来なければ、聞く事も伝える事も出来ない。
意思の疎通をする為に英語を学びたい。

世界を周りながらその国々の人がどんな問題に悩んでいるのかを聞きたい。
それに対して出来る事があれば協力したい。
だから私には英語が必要なのだ。

33年間でそれなりの幸せを感じる事が出来た。
なので、これからの人生は他人に対して幸せを分け与えられるような活動をしていきたい。
それが現在考えている私の存在意義だから。

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